|
by 1945_0806 カテゴリ
以前の記事
最新のコメント
Options
おすすめキーワード(PR)
ファン
|
2004年 03月 08日
![]() この写真は、「日韓併合直前」と、「日韓併合中」の写真である 日韓併合は、朝鮮人を飢餓、内乱による自国民同士の虐殺、侵入中国人の強姦、略奪から救った、平和活動の成功例である。 多くの朝鮮人は、飢餓から救われ、虐殺から救われ、女達は強姦妊娠から救われ、人々は学を得て、職を得てと、無償で近代文明を享受することができたのである。 こんな我が国の大貢献をよそに、何故に韓国人が、我が国に反日感情を抱くのか、全く不思議でしかたないところである。 しかし、良く考えてみれば、我が国も米国に侵略された。小林よしのりをはじめ、現代の保守派(あえてそう呼ぶことにする)の多くは、反米思想を持つものが多い。 これも、どうかとは思う。 しかし、我が国の反米感情を持つ保守派どもには、それなりの言い分がある。 韓国人の反日感情とは異なり、歴史的悲惨な事実の裏付けがあるのである。 ・日本国内、64都市、約70万人の民間人が空襲により大量虐殺された。 ・沖縄では脱出する民間人が乗る船舶を爆撃され、ガスバーナーで村ごと焼き払われた。 ・今だかつて世界で2発しか使われた例がない原爆を2発ぶち込まれた。 ・戦後は国際法違反にもかかわらず、無実の国民を大量に虐殺処刑された。 ・戦後米国軍人のための大量の慰安所を作らされ、米国人の性処理として大勢の日本人女性が強姦された 我が国の反米家は、このような歴史的裏付けのある「反米感情」なのである。 また、これが一番のポイントなのだが、我が国の国民は、戦後、悲惨な虐殺事件を一刻も早く忘れ、次の世代に戦争の遺恨を残さず、前向きに希望ある人生が送れるよう、心から願ったのである。 その結果、小林よしのりを初めとする保守派は我が国民のマイノリティであり、多くの国民が大親米派であるのが、現在の我が国なのである。 一方韓国人の場合は、親日家と呼ばれるのは、侮辱行為にもあたるそうで、ほとんどの国民が根強い反日感情を持ちつづけている。 同じアジア人。何故にこうも違うのだろうか? 戦後悲惨な状況から、我が国が未来に残したいと痛切に願ったものは、 ひたすら「明るい希望」であった。 そのために、あらゆる理不尽も受け入れ、ひたすら愚直に前を向きがんばってきた。 一方、戦後、韓国が行ってきたことはひたすら、将来への「遺恨」である。 全ての恩を忘れ、根拠無き遺恨を歴史を捏造し、次の世代に伝えつづけたのである。 自国を売り渡した売国責任を回避し、言い訳、言い訳の繰り返しで今にいたるわけである。 韓国人よ、お前等は情けないとは思わんのか。 恥を知れ、朝鮮人よ! 2004年 03月 08日
![]() 長い間、ほぼ永遠に変らないであろうと思わせる、町の風景、人々の生活模様に、深い情緒を感じ安らぐことができる。 子供の頃に壁に残した落書きが、今となっても発見できるような、普遍性が心休まるのである。 しかし、昔から変らない場所であればどこでもよいというわけではない。 この写真を見てほしい。 この集落は決して昔の写真ではない。今現在の写真である。 神奈川県KWSK市、人気の多摩川沿いにある在日朝鮮人による、歴史ある不法占拠地帯である。 この集落には現在においても、人口が激減することなく多くの人が住んでいる。 とくに私が驚いたことは、この集落内に遊んでいる子供がいたことだ。 捨て子なのか、拉致なのか、彼・彼女等の交配によって生まれた子なのかは定かではないが、いかにもこの地域に溶け込んでいる子供達がいるのである この場所は昔から変わらない。 少しばかり面積が減ったが、その減った土地には、部屋のベランダから、穴だらけのバラック屋根郡を見渡せるようなナイスなマンションができたのだが、それ以外には、とくに変化はないのである。 昔はよく、犯罪者がもぐりこんでいたそうだが、今はどうなのだろうか。。。 最後に一句。 3部構成でお届けします。 「多摩川の、 焼肉臭の、 チョンブラジャー」 「仕事がねえ、 まともな家も、女もねえ ここらでどかんと、強姦してえ」 「拉致強姦 ヤリまくってたら できちゃった あとはおまかせ 勝手に生きろ」 お粗末さまでした 2004年 02月 26日
![]() 俺は元来、過去に読んだ本を読み返すことや、同じ映画を見直す事は大嫌いなのだが、この「仁義なき戦い」シリーズだけは何度も見てしまう。 俺は広島で育っただけに、この映画で出てくる場所や歴史観等が良くわかる。 映画の部隊の1つである、「基町原爆スラム」は俺の高校のすぐ隣だったし、 広能(菅原文太)の事務所がある呉は俺の兄貴が行っていた高校がある。 土地感がある映画を見るという事は、その映画のストーリーの善し悪しを越えた楽しみがあるのだ どの作品か忘れたが、当時の在日観が表現されていたシーンがあるので紹介する。 ちなみに、ストーリや会話の内容は正確に記録したものではないが大方こんな感じである。 呉で小さい組をやってる広能は、在日の女が働いているキャバレーによく通っていた。 ストーリーの展開上、広能はこの女に入れ込んでいたようだ。 ある時、広能は抗争中の山守組に行く事になり、広島に出ることになった。 以下、広能と、組の若手の兵隊との会話である。 兵隊「おやっさん(広能のこと)、今こんなときにいくと、どうなることかわかったことじゃないけえ、いかんといてつかわさい」 広能「あほか、おまえら。わしにイモ引けいうかい、おう?」 兵隊「わしらも連れてってつかあさい。おやっさん。わしら、覚悟はできておりますけん」 広能「バカたれがー、おう?ここ留守にしたら、それこそすき放題じゃろうか、おう?」 兵隊「じゃあ、せめてあの朝鮮女だけでも連れってはどうじゃろか。いざというときは、盾になるけん。」 広能「・・・ほう。それはええ考えじゃのう。女がおると思うと奴等も油断するじゃろ」 こうして、広能は朝鮮女を「盾」兼「慰安婦」として、広島につれて行った。 しかし、朝鮮女は途中で自分のミッションに気づき、怒り狂ってその件を広能に問いただす。あいまいに答える広能に対して、朝鮮女は興奮して広能を殺そうとする。 しかし、広能に張っ倒され、「わしが、そんな男に見えるかおう?」の一言で、その場は事なきを得る。 しかしその夜広能は襲撃される。 我先に逃げようとした朝鮮女は運悪く撃ち殺され、広能は上手く逃げ切るのである。 このストーリが何を表現しているか、自分の生まれ育った町が在日朝鮮人との接触が薄い地域の人はどうも理解しにくいところであろう。 このシーンを在日感という切り口で解説すると、以下のようになる 在日朝鮮人女を「盾」に使おうとするその発想を持つ広能。 これは、広能が在日差別をしているので、当時の在日朝鮮人は可愛そうだった、ということを描いていると思うかもしれないが、事実はその全く逆である。 映画では、結局、在日の女はすぐに人を裏切るし、興奮したら人を殺しかねない、隙を見せたり、甘やかしたりすると、痛い目にあうのは日本人。 映画では明確に描かれてはいないが、もしかしたら、広能の居場所をタレこんだのは朝鮮人女かもしれないと解釈することもできるシーンである。 よって、やはり朝鮮は信用できん。 事実悪い事をしたから(男を裏切って殺そうとし、敵が来たら、我先に逃げようとした)ばちが当たったと。 この時代においては、結局、朝鮮人女は、「盾」か「娼婦」にしかなれなかったんだと。 深作はそのように描きたかったのではないかと俺は解釈している。 こういう映画を見て、在日朝鮮人の人々は、非常に腹立たしい気持ちになるだろう。 しかしその一方で、当時は、在日朝鮮人による、窃盗、強盗殺人、強姦殺人等の凶悪犯罪率が極めて高かったこともまた事実である。 2004年 02月 24日
今更、ご存知だろうが、敗戦以来我が国の歴史教科書には、平然と『嘘』が書いてある 勿論、世界各国を見渡しても、歴史教科書に『嘘』はつき物であるが。 例えば、お隣の某発展途上犬食い国はどうだろうか。 香具師らは、さも昔からあったかのように見える歴史建築物を、我が国からのODAを元手に新築捏造した挙句調子に乗って反日運動してみたり、大東亜戦争中、自ら国を放り捨て「どうか統治して下さい。このままでは我が国は滅びてしまいます。どうか助けてください」と懇願したくせに、「我が国はイルボンに占領されたニダ!補償ニダ!」と、感謝を示すどころか、さらにお小遣いをせびる有様である。あきれはててものを言えないとはこの事である。 中国に至っては・・・この国のことを語るとあまりにも、長くなってしまうので割愛する また、『アメリカ』『フランス』『ドイツ』等も同様にしゃあしゃあと嘘を教科書に書いているのであるが、これらはいずれも、教科書に、自国を正当化した内容を書いているのである。 一方、我が国はどうであろうか? 1.全く根も葉もない南京大虐殺 事実は死者約30人程度。戦時中を考えればとっても安全な地域だった 2.朝鮮人の日本への強制連行 来るなと何度も警告し、それでも来た奴等を、食事と布団を持たせ、家族ばらばらで来てもなるべく家族一緒にして、必死で追い返していた!) 3.東京裁判でのA級戦犯者 宣戦布告を行っていた真珠湾攻撃を初め、全てがでっちあげのサイバン。 これらが全て、「戦時中、日本はとっても悪い事をしました。もう二度と戦争はやってはいけません。」という言葉と一緒に、教科書に書いてある。 もう二度と戦争をやってはいけません。という1文は良しとしよう。しかし、なんで、また、こんなに大切なことに限って、『自虐』的な嘘をつくのか、呆れんばかりである。 あほか、ばかかと。 教科書問題については、あまりにも事実を知らない方々が多いので、改めて別の機会に執筆しようと思っている。今まで散々議論されていた史学的見地からではなく、もっとわかりやすい、日常にためになる視点で書こうと思っている。 私がここで言いたい事は、 『自虐的でなく、前向きかつ、事実に基づいた歴史を教え、未来の駒を進める子供たちに真の教養を与えよう』 という熱い思いで活動をした人達を心から賞賛したいということである。(以下URL参照) http://www.tsukurukai.com/02_about_us/06_support.html 俺は彼等を心から尊敬する。 松軍 2004年 02月 23日
![]() ここは戦後以来、千人を超える規模で在日朝鮮人の方々が住んでおり、いわゆる「ウリトンネ」である。 写真上部には朝鮮学校があり、その右下部には彼等が住むアパート郡が立ち並ぶ。 ここは埋立地であり、また近くに工場やゴミ処理上等があるため、水回りや悪臭等の生活環境は最悪だったそうだ。 しかし、戦後生活に苦しんでいた彼等は、信じられないくらい安い賃料であるこの地域に住みつづけた。今では環境面は大分改善されてきたそうだ。 ウリトンネでは、とてもおいしい焼肉屋があると聞く ここにはあるのだろうか? 今度見学がてら、食べにいってみようと思う 松軍
|